代表挨拶
私は宮城県の温泉町、鳴子町の出身です。
3.11東日本大震災で甚大な被害を受けた地域です。
震災以後、東北支店を開設し復興工事のお手伝いをさせていただいておりました。
私の生い立ちについて
6人兄弟の末っ子として生まれ、野山を駆け回って大自然の中で育ちました。
未開拓地で開拓者の子として生まれ、当時はとても貧しかったそうです。
そんな状況でしたので、私の兄弟は中学を卒業すると、集団就職で東京に働きに出されました。
「ああ、上野駅」の時代だったそうです。
中鉢建設株式会社のはじまり
二番目の兄(現会長)が横浜で二十歳の頃、中鉢土建、後の中鉢建設株式会社を興しました。
当時は道路工事の下請の仕事を数名で行っていました。
私は、中学生の頃から夏休みや冬休みになると、アルバイトに来ていました。
時代は日本列島改造論、田中角栄総理大臣の頃、土木技術者は『金の卵』と呼ばれました。
当時社長である兄(現会長)から「工事現場の監督は良いよ!」と言われ、学校を卒業したら自分の会社に来るようにと言われ続けました。
私はというと、本当は違う仕事に進みたかったのですが、会社を盛り立てていくことが、当時貧しかった家の為になり、自分にも一番良い道なのかなぁーと考え、兄の会社に就職すべく、土木系の工業高校に進みました。
高校卒業と同時に横浜へ住み替え、夜間の建設系の大学に通いながら、昼間は兄の会社ではなく、取引先の会社にお世話になり、現場監督業を教えていただきました。
大学卒業と同時に、中鉢建設株式会社に入社、現場管理の仕事に就きました。
その後25年ほど前から、建築工事や不動産業に足を踏み入れました。
皆さんの笑顔をつくる応援団長
今の仕事って何だろう?と考えた時、お客様に笑顔になって喜んでいただく。
どんな商売でも、商売の原点はここだと思います。
その舞台が私の場合、建設、不動産の仕事であって今の仕事はそれを実現する為の一つの方法のような気がしています。
結局、何の仕事につくか?よりその仕事で何が出来るか?どんなお役にたてるのか?そこに笑顔は?と思うようになりました。
長年、建設業界、不動産業界の仕事に携わり、『住』にかかわることはほとんど経験させていただきました。
その業界内部の関係者として、業界人だから知っているノウハウを、お客様に喜んでいただけるよう力を尽くしていきたいと思っています。
皆さんが笑顔で、健康で、快適で、安全な生活をおくるための応援団長になります。
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私は昭和44年に現在の横浜で生活することを心に決め
宮城県を後にしました。
中鉢建設は昭和47年創業以来、横浜市旭区を拠点に、
横浜市を中心に公共工事を主体とした総合建設業として
事業展開をしてまいりました。
今後も常に初心を忘れず、地域に根付き、地域に貢献し、
地域の皆様に信頼頂ける事をモットーに、
さらなる精進を重ねてまいります。